広島大学体育会ヨット部70周年寄稿文
この度は、広島大学体育会ヨット部の創立70周年を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます。
1949年の創部から現在に至るまで、たくさんの方々の想いをバトンのように引き継いできた伝統ある部の一員として活動出来たことを感謝するとともに、誇りに思います。私たちが全力を尽くして活動出来たのは、ひとえにここまでバトンを絶やすことなく繋ぎ、たくさんのご支援を賜りました歴代の諸先輩方のおかげです。厚く御礼申し上げます。今度はバトンを未来へ渡しOB、OGとなった私たちが現役の部員に支援をしっかりと行っていく番となります。義理と人情を忘れずに行動して参ります。
さて、私たちの現役時代を振り返ってみます。引退することとなりました最後の大会、福井で行われた全日本インカレから早いものでもう1年半が経ちました。同期の中で私のように就職した者もいれば、大学院に進学した者、勉強が好きで同じ学年を繰り返している者、大学を引退した者、いろんな人がいます。今は皆別の場所で自分の選択で目指す場所へ向かっていますが、あの1年間は同じ目的地である全日本インカレ スナイプ級10位、470級10位に向かって日々活動していました。
それまで中国水域の全日本インカレ出場枠が2大学でしたが、私たちの代から、1つの大学しか全日本に進めなくなりました。全日本インカレに出場するためには両クラスが中国水域で私たちは特に数は力だと常々感じていました。1年生の時、4年生の先輩方は3人と少なく、部の運営の大変さを考えさせられました。自分たちの代に近づくにつれ人数も増え、女性部員も増えていき、様々な人の考えを共有し、一つの目標に向かっていました。
自分とは違う意見こんな考えもあるのかと大変勉強になりました。
大学で部活をすること、そしてさらにヨットを選んだことは人生にも大きな影響を受けたと思います。高校では私はラグビー部に所属していました。高校の顧問が運営していた部活とは違い、大学では4年生や幹部が中心となって方針を決め、部を運営して行きます。30人を超える部員を率いていく難しさ、チームをどうしていくのか方向性の決め方、予算の使い方、全て権限がありますが、自由には責任も伴います。チーム運営の面白さ、難しさは他の大学生活では味わえない素晴らしいことだったと思います。また、ヨットという競技を選んだことに関しては、自然である海が相手のスポーツということで、常に危険と隣り合わせで、瞬時の判断が求められます。福井大会の時は、消防が出動するほどの状況にもなりました。集団で一つの目的に到達する力、判断力、コミュニケーション力は大きく成長したと思います。色々と書いてきましたが、社会人になってから始めることが難しいマリンスポーツに四年間どっぷりと浸かることができ、楽しめたこと、やりきった達成感が何ものにも代え難いです。大学で新しいことを始め、さまざまなことに挑戦してきたことを忘れず、今後の人生においても好奇心を持ち続け、チャレンジして行きたいと思います。
末筆ながら、広島大学ヨット部の一層の発展と皆様方のご活躍を祈念致しまして、お祝いの言葉とさせていただきます。